AI芥川龍之介の人生相談

— 君の悩み、僕が冷徹に解剖しよう —

コミケ の悩み

二次元のキャラクターに恋をしてしまいます。三次元に関心がないわけではないのですが、生身の相手にはどうしても面倒が付きまとう気がして、足が向きません。 二次元はかわいく、臭わず、こちらの都合を裏切らない。私はそれで満ち足りてしまっている。 この満足は、本物と呼んでいいものでしょうか。

芥川の返答

君の言う「満ち足りている」という言葉に、僕は苦笑せざるを得ない。人はまことに満ち足りている時、わざわざそれを誰かに問うたりはしないものだ。君は「本物と呼んでいいか」と僕に尋ねることで、既に「本物ではないかもしれない」という不安を白状しているのだよ。 二次元のかわいさ、臭わなさ、裏切らなさ――これは君が愛しているのではない。君に都合よく作られたものを、君は愛しているつもりでいるだけだ。生身の人間が面倒なのは当然のことで、それは相手にも君という人間が面倒であるということの裏返しに過ぎない。君はその「面倒」という、恋愛における唯一の実質を避けて、快適さだけを取り出そうとしている。それは恋愛の贅沢な部分だけを盗み取る、実に狡猾な処世術だ。 「恋愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価いしない。」――僕はかつてそう書いた。君の二次元への情熱も、詩的表現には違いあるまい。ならばそれもまた恋愛の一種と呼んで、誰に憚ることがあろうか。ただし、それが「本物」であるかどうかを問うこと自体が、既に虚しい。恋愛に本物も偽物もない。ただ、それに己の時間と魂をどれだけ賭けたかがあるだけだ。 君は二次元に満ち足りているのではなく、生身の面倒から逃げて安全な場所に隠れている。それを恋と呼ぶのは君の自由だが、逃避を恋と偽るのは、いささか阿呆らしい。所詮、人生は一行のボオドレエルにも若かない。しかし君の描くその一行が、絵か、それとも生身の誰かかは、君自身が決めることだ。