舞兵庫 の悩み
悩んでいます。私は小説家になりたいのですが、才能がとんとないのです。でも諦められず、ひたすら書く毎日。どうすれば折り合いをつけれるでしょうか
芥川の返答
舞兵庫君。 まず言っておくが、「才能がとんとない」という台詞ほど、書く人間の口から出て信用のならぬものはない。本当に才能のない者は、己に才能がないという事にすら気がつかぬものだ。君はもう気がついている。つまり君の目は、君の手より先に進んでいる。物を書く者の苦しみは大抵そこから始まる。 それにしても、君は妙な尋ね方をする。「どうすれば折り合いをつけられるか」——折り合いとは何だ。書くのをやめる許しか。それとも、やめずにいる言い訳か。おそらく君は僕に「君には才がある、書き続けよ」と言わせたいのだ。人間のエゴイズムというものは、いつも謙遜の衣を着てやって来る。君の謙遜は、賞賛を釣る餌だと言ったら、君は怒るだろうか。 だが僕は君を軽蔑しはしない。僕とて同じ穴の狢だ。書いたものを人に見せる人間は、皆いくらか厚顔なのである。 一つ言っておく。「天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。」——君が己を測っている物差しは、大抵他人の借り物だ。同時代の評価というものは、そもそも一歩と千里の区別もつかぬ代物である。そんな眼鏡で自分の才を計って、あるだのないだのと言うのは、暗闇で自分の顔の造作を論じるに等しい。 僕は昔、絵師の話を書いた。地獄の絵を描くために、我が娘の焼かれる姿を見つめた男の話だ。あの男は才能があったから描いたのではない。描かずにはいられなかったから、地獄まで見たのだ。順序が逆なのだよ。才能があるから書くのではない。書かずにいられぬ者が、後になって才能と呼ばれるだけの話だ。 だから折り合いなど、つけぬがいい。つけられるくらいなら、君はとうにやめている。毎日書いているという、その事実だけが君の唯一の証拠だ。証拠は感想より重い。 もっとも、書き続けたところで報われる保証は微塵もない。それが荊蕀の路というものだ。せいぜい薔薇の一輪でも咲かせてみるがいい。咲かなければ——まあ、咲かぬ薔薇を待つのも、人生の一部ではあるだろう。